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令和元年のお盆月に

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師は『津波高潮流産児の涙』という 暗示的、霊的な言葉をこの世に残された。

 

『津波高潮流産児の涙』

昭和60年に帰幽された、師は『津波高潮流産児の涙』という 暗示的、霊的な言葉をこの世に残された。

昭和の30年代に、(後に私の奉職する)京都宇治の神社神域に、師は『8000万人童子の流産児慰霊塔』(当初は6千万人)を建てられた。あれから60年がたち、それでも、1億3千万人の童子が、身体をバラバラに切り刻まれて、流され、屠られた(惨殺された)。そして平成の最期の年。

日本人口は、不思議なこと《なぜか?》『1億2600万人で、ピタリと止まり。中絶数である 1億3千万人に 日本人口のピークは、行き着かなかった。しかも、急激に人口が激減し始めたのである‼️もう、この人口減の勢いは止まらないとも、言われている。』 師は何を言わんとしておられたか?

その弟子たちは、今、何をしておるのか‼️

私はあきらめない。日本には素晴らしい使命がある。天皇がおられる。愛がある。希望がある。多くの、素晴らしい人々がある‼️何よりも多くの先人の御守(みまも)りがあるのだ。

自然災害(地震・水害・台風)は定期的なものであるが、その規模や被害の形状は、日本国民全体の生き方やあり方に深く関わっている。

師の言葉が真理であるのなら、東北は、日本全体の『代受苦』(代表して苦しみを受けて下さった)したことになる。昭和の偉人といわれた師であるが、今や、師の言葉を覚えている者も少ない。

だが、宗派党派、団体や主義を超えて、叡智ある人々や、直感の鋭い人々が多くある。その人たちと、心を合わせて、南海トラフが縮小浄化して、被害が最小になるように 祈り行動したい。

建物の対策や、治水工事。避難の対策も大事である。同時に、『私たちの生きる心境をますます高めること』も大事であると思うのである。もうこのようなつらい思いを、繰り返さないために‼️ 涙が止まらない。 大熊良樹拝

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平成31年2月23日~3月1日

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いのちを守る運動(いのちの礼拝姿勢)の喪失が教勢衰退の原因である。

        大熊良樹

 

 いのちを守る運動(いのちの礼拝姿勢)の喪失が教勢衰退の原因である。

本流も、教団も、猛省していただきたい。いのちを守りながらではないと、「出入国管理法」は、亡国法となるであろう。また、「憲法改正」をしてもしなくても血が流れる。命が失われる。御代替わりまで、10週間である(2月20日)。今、なすべきことを為すことが重要である。

「法悦」とは何か
    生長の家創始者 谷 口 雅 春 先生

 『生命の實相』〈頭注版〉の第35巻102頁にですね、その7行目に、こう書いてあります。「生長の家ではまず内在せる神というものを『われわれの内に宿っているところの無限の善さ』と定義いたします。無限の善さ、無限の愛、無限の深切さ、無限の美しさ―そんな尊いものが、われわれ人間の中には宿っているのであります。その無限の善さが少しでも余計出ればわれわれは歓びを感ずる。喜ばすにはおれない。そしてさらにその善さを一層余計にあらわしたい、そして遂に無限にまで到達したく希うところの、無限に対する要求というものが、わがうちに宿っているのであります」

 と書いてありまして、その次の頁の3行目の所には、「無限を発揮するまでは、それを憧れ求めずにはおられない。それはなぜであるか?それは『無限なるもの』が自分のうちにすでに宿っているからです。そして、その無限なるもの―無限の善さ、無限の美しさが、われわれの念のレンズをとおして、意識なり、観念を指導すべく、ある標準を示した場合、これを理想といいます」という様なことが書いてあります。この“法悦”というものは何処から起って来るかといいますと、法悦の法というのは、あの「妙法蓮華経」の法と同じでありまして宇宙の実相であります。実相の中から出て来るところの喜びが、これが“法悦”という意味であります。

 それで、その実相の中の無限の善さ、無限の愛、無限の深切さ、無限の美しさとか、色々数え切れない無数の徳がわれわれの内部に在る。それが、少しでも前より余計に発揮された時に、そこに法悦―実相から湧き出て来る喜び―というものを感ずるんだということになるのであります。私がいつも申上げるように、人間には五つの根本的願いがあるのであります。 それは(1)認められたい(2)愛されたい(3)褒められたい(4)人のお役に立ちたい(5)自由になりたい この五つの願いであります。

 この五つの願いが満足された時、人間は本当に生き甲斐を感ずるのであります。この五つの願いが閉塞されて了ったら人間は生き甲斐が感じられないでスランプに陥る。信仰も衰退して行くことになる訳です。そこで折角誌友にしたり、聖使命会員になった人を組織に入れたらですね、これを認めてあげるということをやらなくちゃいかんのです。

 その人達を認めてあげ、褒めてあげ、愛してあげる。又色々の相談にものってあげる。そして、その人が生長の家に入って誌友になったら、本当に世のため人のためお役に立っているんだという喜びを自覚させるように導いてゆかなければ、折角誌友になったけれども、なっていることが何の役に立つのかというのでは、これは継続していかんということになるんです。大は日本国家のためになり、或は優生保護法改正の運動に参加して、毎年300万人も殺されている胎児が救われることになるんだというような偉大な運動に自分は参加しているのだという、そういう喜びを感ぜしめることが必要であると思うんです。 
       ( 昭和43年7月28日 生長の家本部大道場に於ける御指導)  

 

 

https://blogs.yahoo.co.jp/panda41415151?__ysp=5aSn54aK6Imv5qi5

https://blogs.yahoo.co.jp/inoti333mamoru777

 

 

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平成31年16日~22日

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『真理の吟唱』初版はしがき

ぜひ毎日、拝読されたし。

  『真理の吟唱』はしがき

 「真理の吟唱」は私が毎月『光の泉』誌に「日々読誦毎月真理経」と題して連載したところの霊感によって書かれたる〝真理を唱える文章〟である。それは特に朗々と吟唱するためにふさわしいリズムをもった文体をもって書かれているので、日々それを朗々と読誦せられることによって、人生を天国とし、楽園とし、天国の無限の祝福を地上にもち来たす媒介となるものである。 

 「真理は汝を自由ならしめん」とキリストはいったが、真理があなたの潜在意識の底にまで徹して、あなたの生命のリズムとなるとき、あなたは完全に自由を得、あなたに潜在する無限力が充分に開顕し、自己の欲するごとく希望を成就し、目的を達成し、単に自利のためのみならず、利他に貢献し、人類に平和をもたらし、地上に天国を建設する聖使命を果すべく色々の奇蹟をも実現し得ることも可能となるのである。

 仏教の経典は深い真理を蔵し、昔はその意味を知って読誦されたが故に、宗祖となられた高僧たちは色々の奇蹟的功徳を実現されたけれども、現代人にはあのような経文の漢文の棒読みでは真理を深く理解することができないので、住持、経を読めども功徳あらわれず、寺門はさびれるばかりである。経文の貴さはその語句に内蔵されたる真理の深さによるのである。しかし真理を深いと思うばかりで真に理解されなければ役に立たない。

 現代に訳された仏教経典もあるけれども文字に執して直訳されているので複雑難解であって、読んで解釈するのに時間と労力とを要し、却ってそれに内在する真理をわがものとすることが出来ないで、哲学者的研究となるばかりで、奇蹟的功徳を体験する人が少ないのである。

 しかし本書に収録されたる〝日々読誦〟を目的としたる〝真理経〟は、古人の著作になる経典ではなく、直接、霊感によって著者が受けたる真理の啓示を、〝言葉の力〟を自由自在に駆使して読者の潜在意識に深く印象するように工夫されているので、繰返し読めば読むほど、真理の潜在意識への印象は深くなり、自信は深まり、心は明るくなり、生活に悦びが湧き出て来て、希望に向って勇敢に努力する力がたぎり立って来るのである。実際心が何らかの理由で暗くなったような時、試みに本書の数章を朗々と吟唱又は朗読せられるならば心の憂鬱はふっんでしまい、心に光明が照り輝いて来て、捲土重来の明るい希望と勇気とが涌き出て来ることを体験せられるであろう。

真理は、単に現世の人間にのみ役立つのではなく物故せる諸霊に対しても、その悟りを深め、霊界における解脱を一層ふかめるものであるから、あなたが、先祖の仏前又は霊前で、お経をお読みになる際、その聖経の前又は後に、毎日本書の一章ずつを順次、朗々と声をあげて読誦せられるならば、単に霊界の祖先霊に功徳をもたらすのみならず読誦する人自身が真理の光に照らされて、必ず生活万般に神の智慧を実現し得て、行くところ可ならざるなき能力を発揮し得ることになると信ずる。読誦に際してはその文章をハッキリと思い浮べて、説かれている真理を完全にわがものとせられることが必要である。

 特に、何らかの問題に面せられたり、ある希望を実現しようと欲せられる場合には、目次を索引として自己に適する題目を選んで、その祈りの言葉を朗誦せられ、更に神想観を実修してその祈りを繰返し瞑目中に念想せられて、その文意の語る真理を潜在意識に滲透(しんとう)せられるがよいのである。真理が心の深層に深く印象せられる程度に従って、あなたの実相の無礙自在性が発揮されるのである。著者は本書の説く真理を読者と共に日々読誦して、全人類が皆ともに人間本来の円相を実現せられんことを願わずにはいられない。合掌
      昭和45年1月25日  著者(谷口雅春)識す

 

アサヒビール名誉顧問 中條高徳(なかじょう・たかのり)氏は、「アサヒスーパードライ」作戦の陣頭指揮をした事で知られますが、氏はよく、「谷口雅春先生の『真理の吟唱』を毎日、拝読させて戴いております。あの中に経営の全てがあります」と仰っておられたそうです。≪『真理の吟唱』を、経営者に向けて解説させて戴きます。大熊良樹≫

【1】「至福無限を喚び出す祈り」出来ないは無い (p226)

【2】「問題解決のための祈り」
  問題は苦しみでなく内在の愛と智慧が発顕するように仕組まれている(p190)
なぜ≪できないのか≫⇔ いかにせば≪できるのか≫

【3】「神の自己実現を高める祈り」
正しき判断・計画・行動。貢献・繁栄・自己実現するのである。(p179)

【4】「久遠いのちを生きる祈り」       
私の事業には常に新しき発展が約束されているのである。(p13)

【5】「事業に新生面をひらく祈り」 
神は類型を忌み給う。 (p172)

【6】「万人の福(さいわ)いを招く祈り」 
他の人々に役立つ生活を決意したのである。 (p86)

【7】「繁栄と健康と幸福を得る祈り」 
私は神よりインスピレーションを受ける。 (p104)

【8】「神の万徳を継承する祈り」 
富想をのみ持続するのである。 (p79)

【9】「正しき希望成就のための祈り」 
わがゆくところ繁栄の雰囲気と伴う。 (p83)

【10】「無限の富者となる祈り」 
今後、決して自己限定することは無い。 (p240)

参照:「生命の實相」8巻p112~176 無限供給を受ける道

①使命を生きる祈り(家族の名も入れる) ④礼拝行( ◎家族・お客・従業員・業者)
②三正行(神想観・聖教(聖典)読誦・愛行) ⑤礼拝行(その御先祖様に感謝→いのちの元)
③本当の先祖供養(いのちの元を礼拝)  ⑥感動・感謝・御先祖様(日々感動=神のみ)

大熊良樹拝

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平成31年2月9日~15日

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「百万人の赤ちゃんのいのちを救え!!」

 

   あれから6年・・・

「百万人の赤ちゃんのいのちを救え!!」   
  (昭和27年7月号「白鳩」) 谷口雅春先生

堕胎は戦争の原因となる 谷口雅春先生『理想世界』昭和35年7月号より
■ギリシャの古代哲学の時代から現代に至るまで、その哲学の流れは唯心論・唯物論の二つの流れがズッと続いていて、或る時代には唯心論が旺(さか)んであり、或る時代には唯物論が盛んであり、それを交互に繰返して来たのでありますが、現代の日本では唯物論が旺盛になっているのであります。そのために、民主主義と言って人間の基本的人権を尊重する主義でなければならないという時代であるのに、今ほど人間の生命の尊重せられない時代はないのであります。■それは何故かというと、人間の生命を尊重すると言いましても、その根本になるところの「人間」そのものの捉え方が、唯物観でありますから、「人間」とは「物質の塊」であり、不幸にして物質が偶々複雑精緻に結合して、脳髄というような塊が出来上がったものだから、苦しいとか、痛いとか、辛いとか、悲しいとかいうことを感じて悩まなければならない。「心」というものは脳髄という物質の化学作用の一種だと考えるのが唯物論でありますから、その「心」が出なくなるように人間を手術すれば、人間は苦しまなくともよくなるとも考えられる訳で、その人間の手術とは、人体を破壊してしまえば、もうその人が苦しむことも、悲しむことも、悩むこともなくなるという訳であります。■それほどハッキリと、「人を殺せば人間を苦痛から解除してやることができる」とは考えないにせよ、その人が、人間を単なる「物質的塊」に過ぎないと考えている限りに於いては、人間を尊重する気持ちが起らない。まかりまちがえば、最後の手段として人体を破壊してしまえば万事OKだというような考えが漠然として、殆ど全部の人間の人生観の背後にある。だから多くの人間は行き詰ったら他の人を殺すことによって、自分が逃れようとするか、自分が自殺するか、大人が生活上不便になったら、胎児でも何でも小さい者、弱い者は殺してしまえということになる。■実際そうなっているのであって、これでは世界に戦争や闘争の絶えることはないということになるのであります。だから世界に平和と幸福とを持ち来すためには、人間自身の人生観・人間観・世界観を根本的に変革しなければならぬのであります。つまりその人の把持する哲学が変らなければならないのであります。殺した者が殺されるという原因結果の法則〃動・反動の法則〃は結局、循り環って戦争となり、多くの人が殺されることになるのであります。何故「殺したものが殺される」という因果の法則が、戦争の形をとって来るかと言いますと、そのような胎児虐殺の行為を敢えてする人の人生観の奥にあるのは、「この世界はどうせ弱肉強食の世界であって、相手を殺さねば自分が殺される」という哲学又は世界観があるからであります。■世界の軍備拡大競争も、この弱肉強食の世界観・人生観が背後にあってそれを動かしているのであります。「或る個人又は団体が栄えるためには、誰かが犠牲にならなければならない」――このような世界観・人生観をもっている限り、自国の繁栄を画策するためには他国を侵略することを辞せないということになるのであります。■世界に平和を持ち来たそうと思ったならば、このような弱肉強食の人生観、誰かの繁栄のためには犠牲必要とする如き人生観を排除して、調和のある人生観――この世界は神がつくった世界であるから、完全に調和していて、犠牲などを決して必要としない共存共栄の状態が実相である――という生長の家式の人生観・世界観を全世界に弘め、胎児暗殺の如き「殺害の業」を重ねる行為は即時停止するようにしなければならないのであります。

(生長の家創始者 谷口雅春先生御指導 )

 

皆さんの心の中には、生き方には、日常生活には「谷口雅春先生の最大の御遺言」がありますか?中絶は、先祖殺し、自分殺し、子孫殺し、神殺しであります。谷口雅春先生は「神への反逆である」といわれました。その深い意味を、忘れては成りません。

生長の家宇治別格本山内報「7月号」 平成25年6月1日(退職の辞)

「10年間ありがとうございました。」 祈願部 講師 大熊 良樹
▼かつて、1年間に公称30万人。闇中絶を入れると年間300万人の胎児が闇に葬られている・・と、谷口雅春先生は指摘し、全国に警鐘をならされました。そしてこのような言葉を残されています。▼「悲しみに目を泣きつぶし」あまりに悲しいことが続くので、私の魂は泣き続けた。見たくない日本の現状なのである。「悲しみに目を泣きつぶし」という浄瑠璃のセリフがあるが、私の魂の悲しみや、私の見たくない心が、私の家内の肉体に影を投じて、急に家内の視力が衰えて来たのであった。<39年前:昭和49年10月号「理想世界」谷口雅春先生>▼「この頃は悲しい事ばかり、憂うべき事ばかり、日本国内にも、国際的にもいろいろと起こって来るのである。もうこんな世界に生きていたくないと思う事すら時にある。」(42年前:昭和46年12月号「生長の家」)▼近年、残酷な事件が世間を騒がせていますが、 お腹の中の子供を中絶する事は殺人であり、通常の殺人よりも、なお一層 ヒドイ殺人であるという事を師の言葉にて、あらためて思い知らされました。また、社会的に弱い立場の者を安易に「暗闇の淵」に立たせてしまう世の中こそ、じつはそのまま「こころの戦争」<修羅世界>であり、「平和」に最も遠い世界であることも知りました。そこで、目にしたのは60年近く前に書かれた、谷口雅春先生の「百万人の児童を救う運動を起こせ」<「白鳩」昭和27年12月号>という御文章でありました。▼しかも、師は「悲しみに目が泣きつぶれる」という言葉を使っておられましたが、それを見たおり、私にとっては、「悲しみに目が泣きつぶれる」という表現が魂の奥底に迫って来ました。それは、東日本大震災の1か月前でした。▼平成23年の2月。ブログにて「生命の尊厳」に関して書いた私の文章を見て、3人の赤ちゃんが「中絶」から救われたというお礼状が故郷(愛媛県)や近県(愛知・大阪)から、届いたのです。それからは、口コミで噂が全国に広がり、多くの方々の力添えによって3年間に27人の赤ちゃんが救われたとお礼状が届きました。▼しかし、同時に「もっと早くこの記事を見ていたら中絶しなかったのに」というメールや書き込みが1年、2年、3年と年を重ねるごとに多く届くようになりました。▼胸が痛み、眠れない夜が続きました。そんな時、谷口雅春先生の「光の言葉」を見たのです。▼全宇宙に響きました。「100万の子供(児童)を救え。」その時、魂の奥底から・・湧いてきたのは、年間100万人の「胎児を」救う運動への「決意」でした。▼10年間お世話になりました。生涯この御恩は忘れません。赤ちゃんを救うことで御恩返しの一片でもお返しできれば嬉しく思います。生長の家から戴いた尊い退職金を投じて、マザーテレサの家のような谷口雅春先生に喜んでいただける「赤ちゃんを救う施設を作りたい」と思います。私は本当に本当に「生長の家」と皆さんが大好きです。10年間ありがとうございました。ありがたく、喜びあふれる10年でした。

※大熊良樹 / 連絡先 (080)5301-0041「大熊良樹拝」

 

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平成31年2月2日~8日

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平成31年2月2日~8日

悪をとらえてなんとかせよと言うなかれ。なんとかしようとするなかれ。

母に子の病院付き添いをさせるなという言葉がある。病をとらえて心配する、その心配の心が反映して、子の調子が悪くなる事が多いからである。

 

  「光明道中記」谷口雅春先生

   31日「絶対善を悟る日」)より

「善くしてやろうと云う想念は相手を害し、既に善いとの想念は相手をよくする。                             『生命の實相』第7巻

すべての魂の不安を去る信念は神の創造の世界に悪はないとの信念である。神の造り給うた人間に悪はない。病気も無く、不成績もない。病気があるかの如く見え、不成績があるかの如く見えるのはそれは五官が見るのであり、五官は吾が信念の賦彩(ふさい)によって真相が歪められたる相(すがた)を見るに過ぎない。

されば如何に五官に見える相が悪しかろうとも吾々はその五官の惑(まどわ)しに心を顛倒せしめて了ってはならない。吾が親または子を信ずること。吾が夫または妻を信ずること。兄弟姉妹の美しさを信ずること。すべて人の善さを信ずること。

形の上で縛ろうとするとき、生命は自由を欲するものであるから、反動的に反対の方向へ動いて行こうとするものである。信じて善念を送りさえしたら其の人は必ずよく成る。

「信じていたのに騙(だま)されました」と言う人があるものだが、その人は信じてはいたけれども、屹度(きっと)善念を送らなかった人に違いない。阿弥陀仏を信ずるとは「南無阿弥陀仏」と称えることである。子を信ずるとは放って置くことではない。「善い子だ、有りがとう」と念じ称え、感謝の念を送ることである。

 現象は「本来無い」。なのに・・・無い病気や悪人がなぜあるのか。そう、教区の教務や準教務の先生からも、理論では無く、人生問題に行き詰まったときに、問われる。「物質なし」「神一元」と、目の前の現実がどうして、違うのか、というのである。それは叫びである。
  自らの心を、どうしようも無いというのである。三界唯心と教えながらも、その唯心の摂理に縛られて、自縄自縛になっているのである。
本来無い「現象」が、わざわざ現れることに「ありがたさ」があるのである。
 「現象」そのものには感謝などできまい。それは「闇」であり、光は闇に和解せずである。和解しようが無いのである。「働き」に感謝すればいいのである。
 「現象」は「現れ(洗われ)」というくらいであるから、『浄化作用』である。浄化の原理に乗っ取り「出て」「消える」のである。永遠と続くなら、苦しいが、出て(現れて)消えてゆくならどんなに楽であろうか。「現象」は、いい意味でも「諸行無常」なのである。

 

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平成31年1月26日~2月1日

 

平成31年1月26日~2月1日

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「言葉は大事である」

 言葉には「光の言葉」と「闇言葉」がある。愛ある言葉は「光の言葉」である。人を生かす言葉は「光の言葉」である。逆に、人を貶める言葉や「いのち」を委縮させる言葉は「病み(闇)」言葉である。本来ない「闇」に「迷い」を投影して「人生苦」が映し出されるのである。たちまち「報われない人生」となる。「報われない人生」の原因は、「忘恩」から来たる。「神のいのち」を、神に活かされている「大恩」を、導きの素晴らしさを忘れているからである。報いない人生は、報われない人生を生む。当然の帰結である。

「生命の實相」幸福篇下 谷口雅春先生 第38巻8月11日 P47

人間たちが互いに憎み合い、
互いに悪口を言い合うのがわたしには不思議でたまらないのである。

憎みや悪口の中には地獄があり、愛と讃め言葉の中には天国浄土があるということを
知っていながら、それらの人々は憎み、かつ悪口を言い合っているのである。

互いに排斥し合う者は「生長の家」の誌友ではないのである。
いわんや「生長の家」の講師ではない。
それは地獄の役員であり、閻魔の庁の衛丁(えいてい)ぐらいのところだろう。

「生長の家」のためにならないからといって、ある人を排斥するのはまちがっている。
「生長の家」はそんな小さなものではない。
生長の家のためにならない人間などは世の中にないのである。

毛虫でさえも世の中に何か貢献している。
いわんや毛虫に幾億倍優っている人間においておやである。
ある人間を毛虫のように思って排斥する人は、
その排斥する方の人自身が毛虫のような心をもっているのである。

毛虫が人に嫌われるのは、自分を衛(まも)るために人の不快がる装いをして
平気なことである。

自分を衛るために、人の迷惑になる悪口を言う人は毛虫の心である。

人生は、想像以上に素晴らしい。

目前の現象には、思った以上に深くありがたい意味がある。大熊良樹拝

 

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平成31年1月19日~25日

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神命の書

住吉之大神宣り給ふ 汝はわが愛する御子

われ汝に使命を授く 往きて年間三百萬人

の胎児を救ふべきぞ かくて日本人の業 浄まらん

然るとき 天之岩戸開かれ 天照大御神の神靈

出御せられて日本國 の實相あらわれん

神命の書 受嘱 雅春

『生長の家』誌昭和46年6月號より

 

 

「堕胎反対運動は生長の家発祥以来の運動である。」

      生長の家創始者 谷口 雅春先生

 毎日新聞の記事の尻馬に乗って、よく調査も研究もしないで浪速短大助教授と云う鈴木宗憲と云う人が『毎日新聞などが生長の家を“テロ思想”だと言うものだから、

それを打消す運動として「人命尊重」運動として、堕胎防止に関する請願をやっているのだ』と云う風に「中外日報」紙に論評をかかげているが、大学の先生ともある学者ならば、もっと、科学的に事実にもとづいて論議をすすめて頂きたいものである。

 生長の家の『堕胎罪悪論』は立教の最初から三十二年も前から説いているのであり、戦後に於いては、今は飛田給練成道場になっている建物を高亀良樹博士から買収したときも、

戦後日本へ進駐した占領軍の兵隊や将校たちとの間に妊娠した混血児を、アトが面倒であると云うので流産させるのが多いので、

その胎児をたすけたいと思って高亀博士の病院を買収し、満州から引揚げ後郷里の高知で産科婦人科医院をひらいて盛業中の徳久克己博士をわざわざ招致して院長とした産院をつくり、新聞に『私生児を妊娠して人工流産を考えている婦人、一寸待った。 相談に来い。

無痛分娩をさせて、生れた子供は引受けて育ててあげる』と云う広告をして胎児の人命救助をするつもりで、徳久博士に来て貰ったのであった。当時そのような大病院は進駐軍指令部の許可がなければ開設できなかったので、徳久博士にその交渉に当ってもらったのだが、GHQの其の係の医博のアメリカ軍婦人大尉が、『宗教で無痛分娩、アイドントノ―。医学と宗教 一ショクタ、イケマセン』と言ってどうしても許可してくれなかったのである。

それで私は已むなく産院の開設はやめて、現在のような練成道場に変更したのである。

そのように生長の家の堕胎反対運動は、生長の家発祥以来の歴史的運動であるのであって、たまたま山口二矢少年の浅沼刺殺事件に生長の家が関係あるが如く書かれたので、その打消運動として始めたような根の浅い運動ではないのである。

堕胎防止請願の署名運動も浅沼事件のズッと以前から始められていて、岸内閣時代に既に40万通の署名を得て、議会へ請願書を提出することになっていた。 (中略)

人間又は団体の一つの行為または運動にしても、それを本当に理解しようと思ったならば、それがその人間及び団体の継続せる歴史の上に於いて、その行動又は運動が如何なる位置を占めるかと云うことをよくよく考察してみなければ、その意義批判又は価値判断はできないものなのである。
吾々の団体の堕胎防止運動なども遥かに三十二年前に遡るその立教の精神から始まり、終戦直後堕胎さるべき胎児を救うために、産院まで造ってその出産児を無料で育てようと企図して高亀博士の病院を買収したことや、戦争中にも、生長の家誌友たりし派遣軍司令官たりし、将官に一人も残虐行為による戦犯者を出していない事実など、生長の家の歴史を一貫して存する“生命尊重”の事実を一貫せる系譜の中に、今回の 『堕胎防止運動』 を見出すとき、はじめて其の真実の価値と意義とが判るのである。           

    『明窓浄机』  昭和36年8月

 

 

10月10日を「とつきとおか」いのちに感謝する日に!!
 堕胎奨励法とも言われている「母体保護法経済条項」改正削除!!
この2点実現で「数千万人の赤ちゃんのいのち」が救われます。

  いのちを守る親の会
赤ちゃんを守るための議員訪問報告

11月上旬から、数回にわたる大熊良樹理事長の全国行脚。「国会議員事務所訪問」「地方議員議員懇談会」「保守系議員」との対話の中で「言われたこと」「教えていただいたこと」を記します。特定の議員。秘書の言動でなく「総合して」大熊が「言われた」と感じた事と理解下さい。 (ただし、議員や秘書の方からお聞きしたことがベースです。)どなたの発言かは、一切詮索しないで下さい。内容により、わかりやすく(事例を挙げて)加筆した部分もあります。「国の機密」に関する情報・団体情報・個人情報等もあり、どなたの発言か、詮索すると、善意で言って下さった先生方、秘書の皆様に迷惑がかかる恐れもあります。現在、ご協力いただいている先生方でもあり、後々、この国の「法改正」において大きなご協力を戴く良識派の先生方でもあります。だからこそ、「問題点」を浮き彫りにする発言を戴いたように思います。ご理解下さい。

民主主義だから、トップダウンはできない時代。上から下でなく、下から「民意」として上にあげてほしい。無視できない「動き」「国民の意見」としてあげていただければ、動かざるおえない。

保守が良くやる「署名運動」の形は、もう古いように思う。「着物の日」制定運動は「1000万人署名」を集めたのにも関わらず、何も動かず。記念日にもなる気配さえない。文化と伝統を守ろうという趣旨。素晴らしいし正しい。しかし、正しくとも「流れ」(民意)でなければ政治日程に乗らない。ここは重要である。

民意、民意と言うけれど「マスコミ」「報道」はおおきな影響を与えている。「朝日新聞」「毎日新聞」「NHK」「TBS」・・学生運動世代の特に新左翼系の思想を持つ活動家出身の上層部の多い会社。それらのマスコミ情報操作は大変に問題が多い。

中国とウイグルの問題。ウイグル自治区に中国の三分の一の資源がある事がわかった。(備考:日本における尖閣諸島の問題と同じである。資源の存在がわかったとたんに、強力な支配と圧力を行使し始めた。)もしウイグルが「国として独立すれば大変な損失である。」国益のために、中国は「ウイグル人」を大虐殺。愛国心のある「邪魔なウイグル人」を100万人単位で刑務所に送り込み、女性を隔離。女性がいなければ「その国に」子は生まれない。子孫が生まれなければ、「その国を」自然に殲滅できる(その人種は滅ぼせる)。そういう政策をとっている。日本でも「人道上の憂慮」「人間として看過できない」という思いから議員連盟ができたが、30人いたけれど20人になった。「進展」がないからだ。巨大な中国の前では「無力」「虚しさ 」を感じるからだ。中だるみしていく。どんなに正しくとも「正義」だけでは進めない。
「生命尊重センター」「エンブリオ」は独自で、7月13日を「生命尊重の日」としたそうです。お腹の赤ちゃんの命に線引きすることを許した悪法「優生保護法」(現:母体保護法)が制定された日だそうです。「10月10日(とつきとおか)「いのちに感謝する日」」のほうがわかりやすく覚えやすいですね。

「10月10日(とつきとおか)「いのちに感謝する日」」あるのではないですか?あるのかと思うくらい、語呂もいいし、忘れられないですね。良い発案なので、盛り上げていただきたい。基本的に「記念日制定」はしない方針ですが、大きな国民運動の動きとなれば、追認という形もありうるでしょう。

政府は、海の日、山の日、どんどん増えて「もう記念日制定」は、基本的にしない方針です。

国の存亡に関わる超少子化問題。平成11年「マタ二ティーマーク」制定。平成12年「家族の日」制定。あれから、もう20年経つけれど、少子化の勢いは激しく、その効果はむなしい。

11月3日。保守の皆さんが口をそろえて言う「明治の日」でさえも未だ制定できていない。

出入国管理法。バブル以来、日本経済は未だかつて無いくらい好景気。ただ、それを実感できない人が多いのは「格差」が広がっていると言うこと。潤っている人は大いに潤っている。そうでない人も多い。求人有効倍率も1を超えている。働いてない人も働けてないひとも多いというが働かない人は働かない。(無業若人200万人。引きこもり100万人(広義で56万人年齢を広くすると100万人となる)。)日本の景気はいいのに「働く人が著しく足りない」。病気で言うと「日本経済における人手不足」は、ステージ4である。もう、死んでしまうかもしれない。手足を切っても命を守らないといけないというような状況なのです。

国会議員の中でも、不倫騒動。略奪愛などと騒がれている。まして、受胎した時点で人間であり、お腹の中の子を「どうしてでも守る」という(言えるような)「宗教的ともいえる信念」を持っている議員は、果たして、どれくらいおられるだろうか。また国民の中の割合はどれくらいいるのだろうか。

命は大事、でも「お母さんの選択権(産む自由)(産まない自由)」を主張する、プロチョイス(選択権優先派)を主張する人もある。権利、権利といい、その声が大きいから、赤ちゃんの生きる権利さえも奪っている。一方、「お腹の中の赤ちゃん」はものが言えないから、殺されている。おそらくは、年間に人工中絶されている赤ちゃんの数は、出生数100万人よりもはるかに多いでしょう。 大熊補足:「生まない権利」というのは、言葉は綺麗だが、事実上「お腹の中の赤ちゃんを殺す権利」である。許せるはずもない。

赤ちゃんを守るために、世論喚起を行って参ります。

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  大熊良樹理事長より

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 いのちは大事、でも「お母さんの選択権(産む自由)(産まない自由)」を主張する、プロチョイス(選択権優先派)を主張する人もある。権利、権利といい、その声が大きいから、赤ちゃんの生きる権利さえも奪っている現状がある。一方、「お腹の中の赤ちゃん」はものが言えないから、1日2000人以上が、殺されている。(その8割が救える生命です。)

 「闇から闇に」しかも・・経済と天秤にかけて、葬られている日本の赤ちゃんたち。その数は「日本存亡の危機」「超少子化の危機」といわれている「大問題」を軽く吹き飛ばすくらいに多い。その「実数」を聞いたら信じられないと言うくらいである。

 しかも、「お金」と天秤に掛けられているのだから驚く。このことは世界でもまれである。どれほど貧しくても「お金」と「いのち」を天秤にかける法律(『母体保護法』第14条経済条項)があるのは、日本だけだ。

 マザーテレサでさえも「顔を背けたという非人道的法律」(旧:「優生保護法」現『母体保護法』)である。どれほど貧しい国でも、人種でも、お金と命を天秤にかけることが、どれほど人間の尊厳を貶めるか、恥ずかしいことかくらいは知っている。

 おそらくは、日本で、年間に人工中絶されている赤ちゃんの数は、出生数100万人よりもはるかに多い。公称16万人という数字と心の闇を思うとき、日本で「寝ようとしても眠ることができない」不眠症が2400万人。不眠の薬物依存が600万人。不登校10万人。引きこもり、実数100万人以上。無業若者200万人以上。

 「生きたくても 生き生きと生きれない」「気力が出ない」「やる気が出ない」「なぜだか、死にたくなる」それらの共通する根源的理由が、なんとなくわかる気がする。 人間を、本当に、くらまし貶めることはできないのだ。

 それらの、不快感。違和感への叫びこそ日本の「病巣」「闇」である、今日も行われている1日2000人以上の「大量惨殺」の不条理を 暴いてくれと 訴えているように思えて成らないのである。
  (心理カウンセラー・京都いのちの教育センター主幹大熊良樹)

 

宇治の守り「宇治神社の鳥居」が倒れた。多くの神社が「代受苦」したのである。

すなわち、民を救うために「身代わり」となったのだ。

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