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令和4年2月1日「10年目の奇跡」白髪の老人の預言

皆様 ありがとうございます。 尊いご寄付・御献資。お力添え、心尽くしをまことに、まことに、ありがとうございます。

不動明王(ふどうみょうおう) 憤怒の表情はまさに鬼気迫る‼️ あなたを襲う不幸や魔を祓い降伏させる 力強い御守護そのものなのである。1月『28日』は不動明王の縁日。 その日。いのちを守る親の会に、 大家さんから49坪の土地の 所有権が委譲されました‼️

皆様のおかげです。
 本当にありがとうございました。

いのちを守る国民運動 満9年(10年目)をむかえる年の 尊い尊い 奇跡でありました。ありがたい。日記を観ると、平成31年(令和元年)。 白髪の老人が夢に現れた1月10日。その、ちょうど3年後の1月10日に、提示された金額がピッタリ寄付金にて揃っていました。なんということでしょうか。そして手数料や税金が28日までに揃って聖地が守られたのでした。

 具体的には、昨年のお盆から(大家さんからいただいた聖地委譲の、まさに)夢のような話でした。大家さんも、これまでに。千人以上の赤ちゃんのいのちが救われた奇跡を心から喜んで下さっています。これも協力下さった、多くの皆さんのおかげです。本当にありがとうございます。

 また、今後も、二千人三千人と赤ちゃんの尊いいのちが、救われ続ける事を、大家さんも自分事のように喜ばれていました。感謝感謝感謝90年前に建てられた物件ということで。耐震ゼロと診断されました。すでに、これまでの台風や何度かの地震にて、屋根や壁に、ひびや穴の空いた物件です。今度、いつか起きるであろう地震で妊婦さんが亡くなったり怪我をしたりしないように、頑張って、聖地にふさわしい丈夫な建物を、早く、建てます‼️

  これからも。赤ちゃんを守る この世の不動明王とならむ。現代の奇跡。 令和の奇跡が 歴史に刻まれました。これからも24時間365日 体制にて全身全霊にて尽力するぞ‼️死んでも(この世を去っても) 誰かに乗り移って(魂を移して) 赤ちゃんと妊婦さんを守り続けるぞ‼️

 100人千人万人に乗り移って 赤ちゃんを妊婦さんを守り続けるぞ‼️千年万年後も、 この聖地から全国の赤ちゃん お母さんをいのちをかけて守り続けるぞ

http://ookuma555.blog.jp/archives/13246947.html

奇跡の事務所(壁崩壊危機)

令和2年3月15日~21日

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人間は神の最高の自己実現である。

    谷口雅春先生

 

(4)奉職。そして講師となる。楠本先生の前に体験談をするのが定番となる。そして…。いつの間にか私は幽斎殿の講師となっていた。祈りの専門部所である。人のために祈る。すると、ますます、自らは、透明になっていくような感覚になった。全国から、医学的には立たないはずの足が立った‼️医学的には曲がらない足が曲がった‼️余命宣言されていたのに、病気が消失した‼️等々驚くほどの吉報や朗報が届き始めた。
京都大学第16代総長の某氏は、現代医学は未だ、『人間がなぜ立つことができるのか?そして歩くことができるのか』という、たったそれだけの事さえも説明できないと、医師でありながら、医学の限界を知ったということである。
いのちの中に、病む力もあれば、病んでいると思っていても、本来無いところから出てきた(現れた)病はまた、消すこともできるのである。魔法や宗教ではない。いのちの力だ‼️いのちの本来持つ素晴らしい力である‼️その奥深い力が互いに影響し合っているという事を否定するほうが、現代では難しいだろう。
いのちは深くお互いに関わり合っており、影響し合っている。それを『ひとついのち』というのである。1人として淋しい人、悲しい人、苦しい人が、この世にあってはならん。
現代では多くの人が不眠症であるという。二千万人を越えるとか。睡眠薬を飲んでいる人が600万人とか。どういうことじゃ⁉️
医学や科学の中に、いのちがあるのではなく、いのちの中に医学や科学があるのである。
先人、先祖にお礼の気持ちで生きて完全燃焼すれば2日で不眠症は消える。私のユーチューブ『いのちが喜ぶ話』の《10秒で不眠症が消えた話》を聞いたらその場で不眠症は消える。
私は、一昨日は徹夜した。忙しくて、徹夜しているのを忘れていた。やけに眠いなと思っていたら、二日目の徹夜に突入していた。おっと。寝ておかねば。床に着いたら、10秒で寝てしまった。(笑)どうじゃ⁉️3日くらい報恩感謝で寝食を忘れてみよ‼️不眠は必ず消える。
話は元に戻る。いのちの大事な話じゃ‼️
現代において、経済と天秤にかけられて多くの胎児が堕胎(おろ)されているけれど、経済の中にいのちがあるのではない。いのちの中に経済があるのである。その1番大切なことを忘れてしまうと『いのちの本末転倒』が起こる。
物が主人公。金が主人公となり、人が奴隷となる。人が物に振り回されて、道具を、使うのではなく、道具のための人となってしまうのである。まるで、靴を履くのではなく、靴を頭に乗せて、歩いているようなものじゃ‼️
よいか。そんなのは、全くもって、靴(くつ)だけに、苦痛(くつう)じゃ‼️\(^_^)(^_^)/

大熊良樹拝

 

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令和2年3月8日~14日

 

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「往きて年間三百萬人
の胎兒を救うべきぞ!」
谷口雅春先生

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「神命の書」

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住吉之大神宣り給ふ
 汝はわが愛する御子

 われ汝に使命を授く
 往きて年間三百萬人
 の胎児を救ふべきぞ

 かくて日本人の業 浄まらん

 然るとき 天之岩戸開かれ
 天照大御神の神靈
 出御せられて日本國
 の實相あらわれん

神命の書  授嘱者 雅春

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『生長の家』誌昭和46年6月號より

 

(3)平成14年。宝蔵神社入山。私は光明思想家の谷口雅春先生の弟子になったつもりで、宝蔵神社宮司 楠本加美野先生のもとで、研修生として学び始めた。私は楠本先生に『谷口雅春先生とはどんな人でしたか?』と問うた。楠本先生は言った。『捧げて捧げて捧げた方である。』私は、衝撃を受けた。楠本先生の答えから何かを学ぼうと。『得よう』と『得よう』としていたのだ。そうしたら、答えは『捧げる』だったのだ。答えはなんと『得る』の反対。『捨てる』ということである‼️
私は18歳の時に、江田島の教育参考館で、元回天特攻隊の岡村清三先生から、英霊は、あなたのために死んだのだ、と教えられ、衝撃を受けた記憶が甦った。英霊もまた、生きたくて生きたくて生きたいけれども、愛する人のために、ご自分の身を人生をいのちを捧げた方々である。自分が恥ずかしくなった。なんということだ‼️
その日から、大東亜戦争で戦病死された方々をお祀りした宝蔵神社神域の『精霊招魂神社』で私は激しくそして全霊で祈り始めた。
毎日朝4時(幽斎殿)5時(大拝殿)から早朝行事。その前に祈るのである。はじめは3時過ぎだったものが。祈るうちに、まだまだ、本気ではない。もっと、もっと、捧げたい。せめて祈りを捧げたいと、熱が入り、熱がまして、やがて祈り始める時間は、早朝2時。そして1時30分となった。
就寝は10時。日付変更線の前に寝た1時間は、実は、2時間寝た事になる。(深い睡眠である)だから、10時に寝ることができたら、1時に起きても、3時間睡眠ではなく、実質、5時間分の睡眠がとれているのである。
私は、祈れば祈るほどに、自分が情けなくなってきた。自分は捧げることができる。大切なこと。もの。人のために死ぬことはできる。でも、家族は捧げることができません、と、泣けてきた。私は毎日、泣きながら、捧げる事ができません。捧げることはできませんと、泣いて泣いて、玉砂利に土下座して、泣き伏していた。半年間、全霊で祈り、祈り、祈り続けたある日、天啓のようにひらめいた。
そうだった。捧げることはできなくても、祈りを捧げることはできる。そうだ!いのちを祈りの中に、投げ込んで、全霊で祈ろう。それでいいのだ‼️
『大熊良樹。美穂。日菜。里菜。玲菜。勇樹。元樹。光樹。吾らの境涯、さらに、高め清め深め給いて人類光明化運動の一大光として、使い給へ。』
私は自分と家族のいのちを、人を照らす光として、お使い下さいと全身全霊で祈り始めていた。不動不惑の祈りとなっていた。いつの間にか、捧げることは、無くす事だと思っていた認識がはくらくし、捧げることが、宇宙を生きること。全ての全てを得る事であると知った。

禅語でいう『無一物中無尽蔵』である。

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令和2年3月1日~7日

わたしの臨死体験

『光明道中記』谷口雅春先生 p.246
「倶(とも)に泣く」と云う感じは、自他一体の感じであるから、しみじみと有難く感じられる。「咎める」と云う感じは自他分離の感じであるから、有難く感じられないのである。「倶に泣く」と云う感じは、軽蔑感から来るのではなく、本来あるべき筈(はず)の尊厳の境地を尊ぶことを前提として、その墜落をともに悲しむのであるから、素直にすらすらと受け入れられる。人間がよくなるためには自尊の念を必要とする。
自尊がなければ自暴に陥る。自暴に陥れば改善とか改悛とかいうことはあり得ない。自尊は他敬によって養われるのである。「咎める」言葉が不結果を招く原因は、こんな所にもあることが判るのである。人の悪を咎めるよりも、自己が倶に泣く愛の欠乏していることを恥じよ。「愛」の中にこそ聖泉がある。それは智慧が如何に斫(き)り開いても発見することの出来ないところの聖泉水である。その聖泉に身をひたすとき、一切の不完全は癒されるのである。

 

大熊講師文章

(1)よく。自分の人生なんだから。などというが、違うのだ‼️自分を通して、世界を。宇宙を表現し。宇宙を現しているのだ。私は平成14年8月16日。1度臨死体験した。全力で生きてきた自負があったが。それはもう、お粗末で、悶死であった。今。思い出しても、憐れで、可哀想で涙が出てくる。

後悔先に立たず。しまったあ‼️という死にかただった。自分のために、自分の満足の、ために生きてきたからだった。(涙)

これからは、自分のためが人のため。人のためが自分のため。神人合一(しんじんごういつ)。自他一体(じたいったい)。ひとついのちを生きるのだ‼️そう決めた。そう生きることにした。(画像は25年前の私。妻と共に。)

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(2)私は前にも書いたが。今度は、死ぬ日(卒業式=霊界移行の日)が楽しみだ。それは、《今度は》、例え今、死ぬとしても。今から、10秒後に死ぬとしても、本当に、捧げて捧げて、生きることができたからだ。

でも、まだ、まだ、私を求めている赤ちゃんのいのちがあるから死ねない‼️(らしい)。これからも、何万人。何十万人。何百万人と、尊い赤ちゃんのいのち。お父さん。お母さんのいのちを守るぞ‼️守らせて戴くぞ。この、いのちをかけて。この人生をかけて。
こんな尊い仕事をさせて戴いているのは、皆さんのお陰です。ありがとうございます。感謝

令和元年のお盆月に

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師は『津波高潮流産児の涙』という 暗示的、霊的な言葉をこの世に残された。

 

『津波高潮流産児の涙』

昭和60年に帰幽された、師は『津波高潮流産児の涙』という 暗示的、霊的な言葉をこの世に残された。

昭和の30年代に、(後に私の奉職する)京都宇治の神社神域に、師は『8000万人童子の流産児慰霊塔』(当初は6千万人)を建てられた。あれから60年がたち、それでも、1億3千万人の童子が、身体をバラバラに切り刻まれて、流され、屠られた(惨殺された)。そして平成の最期の年。

日本人口は、不思議なこと《なぜか?》『1億2600万人で、ピタリと止まり。中絶数である 1億3千万人に 日本人口のピークは、行き着かなかった。しかも、急激に人口が激減し始めたのである‼️もう、この人口減の勢いは止まらないとも、言われている。』 師は何を言わんとしておられたか?

その弟子たちは、今、何をしておるのか‼️

私はあきらめない。日本には素晴らしい使命がある。天皇がおられる。愛がある。希望がある。多くの、素晴らしい人々がある‼️何よりも多くの先人の御守(みまも)りがあるのだ。

自然災害(地震・水害・台風)は定期的なものであるが、その規模や被害の形状は、日本国民全体の生き方やあり方に深く関わっている。

師の言葉が真理であるのなら、東北は、日本全体の『代受苦』(代表して苦しみを受けて下さった)したことになる。昭和の偉人といわれた師であるが、今や、師の言葉を覚えている者も少ない。

だが、宗派党派、団体や主義を超えて、叡智ある人々や、直感の鋭い人々が多くある。その人たちと、心を合わせて、南海トラフが縮小浄化して、被害が最小になるように 祈り行動したい。

建物の対策や、治水工事。避難の対策も大事である。同時に、『私たちの生きる心境をますます高めること』も大事であると思うのである。もうこのようなつらい思いを、繰り返さないために‼️ 戦後、闇から闇に葬られた「1億3千万人の赤ちゃん」を思うと、涙が止まらない。

なんとかせねば。この全霊の思いを、継承してゆこう。 大熊良樹拝

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平成31年2月23日~3月1日

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いのちを守る運動(いのちの礼拝姿勢)の喪失が教勢衰退の原因では?

        大熊良樹

 

 「いのちを守る運動(いのちの礼拝姿勢)」の喪失状態こそ、「人類光明化」の減速。また、教勢衰退の原因ではないだろうか?

 本流(と言われる人々)も、教団(200万人の教勢を誇る団体)も、原点回帰のためにも、深く顧みていただきたい。いのちを守りながらではないと、「出入国管理法」は、亡国法となるであろう。また、「憲法改正」をしてもしなくても血が流れる。命が失われる。なぜならば、1日に「2700人の赤ちゃんが惨殺され続けているのにも関わらず」「知らんぷり」であるからだ。谷口雅春先生の「御遺言」ともいえる「神命の書」(唯一の「神様の命令」という名の御文章)を、まるで、なかったがごとく。ないがごとくに、扱ってはいないだろうか? 

 御代替わりまで、10週間である(2月20日)。今、なすべきことを為すことが重要である。

「法悦」とは何か
    生長の家創始者 谷 口 雅 春 先生

 『生命の實相』〈頭注版〉の第35巻102頁にですね、その7行目に、こう書いてあります。「生長の家ではまず内在せる神というものを『われわれの内に宿っているところの無限の善さ』と定義いたします。無限の善さ、無限の愛、無限の深切さ、無限の美しさ―そんな尊いものが、われわれ人間の中には宿っているのであります。その無限の善さが少しでも余計出ればわれわれは歓びを感ずる。喜ばすにはおれない。そしてさらにその善さを一層余計にあらわしたい、そして遂に無限にまで到達したく希うところの、無限に対する要求というものが、わがうちに宿っているのであります」

 と書いてありまして、その次の頁の3行目の所には、「無限を発揮するまでは、それを憧れ求めずにはおられない。それはなぜであるか?それは『無限なるもの』が自分のうちにすでに宿っているからです。そして、その無限なるもの―無限の善さ、無限の美しさが、われわれの念のレンズをとおして、意識なり、観念を指導すべく、ある標準を示した場合、これを理想といいます」という様なことが書いてあります。この“法悦”というものは何処から起って来るかといいますと、法悦の法というのは、あの「妙法蓮華経」の法と同じでありまして宇宙の実相であります。実相の中から出て来るところの喜びが、これが“法悦”という意味であります。

 それで、その実相の中の無限の善さ、無限の愛、無限の深切さ、無限の美しさとか、色々数え切れない無数の徳がわれわれの内部に在る。それが、少しでも前より余計に発揮された時に、そこに法悦―実相から湧き出て来る喜び―というものを感ずるんだということになるのであります。私がいつも申上げるように、人間には五つの根本的願いがあるのであります。 それは(1)認められたい(2)愛されたい(3)褒められたい(4)人のお役に立ちたい(5)自由になりたい この五つの願いであります。

 この五つの願いが満足された時、人間は本当に生き甲斐を感ずるのであります。この五つの願いが閉塞されて了ったら人間は生き甲斐が感じられないでスランプに陥る。信仰も衰退して行くことになる訳です。そこで折角誌友にしたり、聖使命会員になった人を組織に入れたらですね、これを認めてあげるということをやらなくちゃいかんのです。

 その人達を認めてあげ、褒めてあげ、愛してあげる。又色々の相談にものってあげる。そして、その人が生長の家に入って誌友になったら、本当に世のため人のためお役に立っているんだという喜びを自覚させるように導いてゆかなければ、折角誌友になったけれども、なっていることが何の役に立つのかというのでは、これは継続していかんということになるんです。大は日本国家のためになり、或は優生保護法改正の運動に参加して、毎年300万人も殺されている胎児が救われることになるんだというような偉大な運動に自分は参加しているのだという、そういう喜びを感ぜしめることが必要であると思うんです。 
       ( 昭和43年7月28日 生長の家本部大道場に於ける御指導)  

 

 

https://blogs.yahoo.co.jp/panda41415151?__ysp=5aSn54aK6Imv5qi5

https://blogs.yahoo.co.jp/inoti333mamoru777

 

 

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平成31年16日~22日

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『真理の吟唱』初版はしがき

ぜひ毎日、拝読されたし。

  『真理の吟唱』はしがき

 「真理の吟唱」は私が毎月『光の泉』誌に「日々読誦毎月真理経」と題して連載したところの霊感によって書かれたる〝真理を唱える文章〟である。それは特に朗々と吟唱するためにふさわしいリズムをもった文体をもって書かれているので、日々それを朗々と読誦せられることによって、人生を天国とし、楽園とし、天国の無限の祝福を地上にもち来たす媒介となるものである。 

 「真理は汝を自由ならしめん」とキリストはいったが、真理があなたの潜在意識の底にまで徹して、あなたの生命のリズムとなるとき、あなたは完全に自由を得、あなたに潜在する無限力が充分に開顕し、自己の欲するごとく希望を成就し、目的を達成し、単に自利のためのみならず、利他に貢献し、人類に平和をもたらし、地上に天国を建設する聖使命を果すべく色々の奇蹟をも実現し得ることも可能となるのである。

 仏教の経典は深い真理を蔵し、昔はその意味を知って読誦されたが故に、宗祖となられた高僧たちは色々の奇蹟的功徳を実現されたけれども、現代人にはあのような経文の漢文の棒読みでは真理を深く理解することができないので、住持、経を読めども功徳あらわれず、寺門はさびれるばかりである。経文の貴さはその語句に内蔵されたる真理の深さによるのである。しかし真理を深いと思うばかりで真に理解されなければ役に立たない。

 現代に訳された仏教経典もあるけれども文字に執して直訳されているので複雑難解であって、読んで解釈するのに時間と労力とを要し、却ってそれに内在する真理をわがものとすることが出来ないで、哲学者的研究となるばかりで、奇蹟的功徳を体験する人が少ないのである。

 しかし本書に収録されたる〝日々読誦〟を目的としたる〝真理経〟は、古人の著作になる経典ではなく、直接、霊感によって著者が受けたる真理の啓示を、〝言葉の力〟を自由自在に駆使して読者の潜在意識に深く印象するように工夫されているので、繰返し読めば読むほど、真理の潜在意識への印象は深くなり、自信は深まり、心は明るくなり、生活に悦びが湧き出て来て、希望に向って勇敢に努力する力がたぎり立って来るのである。実際心が何らかの理由で暗くなったような時、試みに本書の数章を朗々と吟唱又は朗読せられるならば心の憂鬱はふっんでしまい、心に光明が照り輝いて来て、捲土重来の明るい希望と勇気とが涌き出て来ることを体験せられるであろう。

真理は、単に現世の人間にのみ役立つのではなく物故せる諸霊に対しても、その悟りを深め、霊界における解脱を一層ふかめるものであるから、あなたが、先祖の仏前又は霊前で、お経をお読みになる際、その聖経の前又は後に、毎日本書の一章ずつを順次、朗々と声をあげて読誦せられるならば、単に霊界の祖先霊に功徳をもたらすのみならず読誦する人自身が真理の光に照らされて、必ず生活万般に神の智慧を実現し得て、行くところ可ならざるなき能力を発揮し得ることになると信ずる。読誦に際してはその文章をハッキリと思い浮べて、説かれている真理を完全にわがものとせられることが必要である。

 特に、何らかの問題に面せられたり、ある希望を実現しようと欲せられる場合には、目次を索引として自己に適する題目を選んで、その祈りの言葉を朗誦せられ、更に神想観を実修してその祈りを繰返し瞑目中に念想せられて、その文意の語る真理を潜在意識に滲透(しんとう)せられるがよいのである。真理が心の深層に深く印象せられる程度に従って、あなたの実相の無礙自在性が発揮されるのである。著者は本書の説く真理を読者と共に日々読誦して、全人類が皆ともに人間本来の円相を実現せられんことを願わずにはいられない。合掌
      昭和45年1月25日  著者(谷口雅春)識す

 

アサヒビール名誉顧問 中條高徳(なかじょう・たかのり)氏は、「アサヒスーパードライ」作戦の陣頭指揮をした事で知られますが、氏はよく、「谷口雅春先生の『真理の吟唱』を毎日、拝読させて戴いております。あの中に経営の全てがあります」と仰っておられたそうです。≪『真理の吟唱』を、経営者に向けて解説させて戴きます。大熊良樹≫

【1】「至福無限を喚び出す祈り」出来ないは無い (p226)

【2】「問題解決のための祈り」
  問題は苦しみでなく内在の愛と智慧が発顕するように仕組まれている(p190)
なぜ≪できないのか≫⇔ いかにせば≪できるのか≫

【3】「神の自己実現を高める祈り」
正しき判断・計画・行動。貢献・繁栄・自己実現するのである。(p179)

【4】「久遠いのちを生きる祈り」       
私の事業には常に新しき発展が約束されているのである。(p13)

【5】「事業に新生面をひらく祈り」 
神は類型を忌み給う。 (p172)

【6】「万人の福(さいわ)いを招く祈り」 
他の人々に役立つ生活を決意したのである。 (p86)

【7】「繁栄と健康と幸福を得る祈り」 
私は神よりインスピレーションを受ける。 (p104)

【8】「神の万徳を継承する祈り」 
富想をのみ持続するのである。 (p79)

【9】「正しき希望成就のための祈り」 
わがゆくところ繁栄の雰囲気と伴う。 (p83)

【10】「無限の富者となる祈り」 
今後、決して自己限定することは無い。 (p240)

参照:「生命の實相」8巻p112~176 無限供給を受ける道

①使命を生きる祈り(家族の名も入れる) ④礼拝行( ◎家族・お客・従業員・業者)
②三正行(神想観・聖教(聖典)読誦・愛行) ⑤礼拝行(その御先祖様に感謝→いのちの元)
③本当の先祖供養(いのちの元を礼拝)  ⑥感動・感謝・御先祖様(日々感動=神のみ)

大熊良樹拝

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平成31年2月9日~15日

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「百万人の赤ちゃんのいのちを救え!!」

 

   あれから6年・・・

「百万人の赤ちゃんのいのちを救え!!」   
  (昭和27年7月号「白鳩」) 谷口雅春先生

堕胎は戦争の原因となる 谷口雅春先生『理想世界』昭和35年7月号より
■ギリシャの古代哲学の時代から現代に至るまで、その哲学の流れは唯心論・唯物論の二つの流れがズッと続いていて、或る時代には唯心論が旺(さか)んであり、或る時代には唯物論が盛んであり、それを交互に繰返して来たのでありますが、現代の日本では唯物論が旺盛になっているのであります。そのために、民主主義と言って人間の基本的人権を尊重する主義でなければならないという時代であるのに、今ほど人間の生命の尊重せられない時代はないのであります。■それは何故かというと、人間の生命を尊重すると言いましても、その根本になるところの「人間」そのものの捉え方が、唯物観でありますから、「人間」とは「物質の塊」であり、不幸にして物質が偶々複雑精緻に結合して、脳髄というような塊が出来上がったものだから、苦しいとか、痛いとか、辛いとか、悲しいとかいうことを感じて悩まなければならない。「心」というものは脳髄という物質の化学作用の一種だと考えるのが唯物論でありますから、その「心」が出なくなるように人間を手術すれば、人間は苦しまなくともよくなるとも考えられる訳で、その人間の手術とは、人体を破壊してしまえば、もうその人が苦しむことも、悲しむことも、悩むこともなくなるという訳であります。■それほどハッキリと、「人を殺せば人間を苦痛から解除してやることができる」とは考えないにせよ、その人が、人間を単なる「物質的塊」に過ぎないと考えている限りに於いては、人間を尊重する気持ちが起らない。まかりまちがえば、最後の手段として人体を破壊してしまえば万事OKだというような考えが漠然として、殆ど全部の人間の人生観の背後にある。だから多くの人間は行き詰ったら他の人を殺すことによって、自分が逃れようとするか、自分が自殺するか、大人が生活上不便になったら、胎児でも何でも小さい者、弱い者は殺してしまえということになる。■実際そうなっているのであって、これでは世界に戦争や闘争の絶えることはないということになるのであります。だから世界に平和と幸福とを持ち来すためには、人間自身の人生観・人間観・世界観を根本的に変革しなければならぬのであります。つまりその人の把持する哲学が変らなければならないのであります。殺した者が殺されるという原因結果の法則〃動・反動の法則〃は結局、循り環って戦争となり、多くの人が殺されることになるのであります。何故「殺したものが殺される」という因果の法則が、戦争の形をとって来るかと言いますと、そのような胎児虐殺の行為を敢えてする人の人生観の奥にあるのは、「この世界はどうせ弱肉強食の世界であって、相手を殺さねば自分が殺される」という哲学又は世界観があるからであります。■世界の軍備拡大競争も、この弱肉強食の世界観・人生観が背後にあってそれを動かしているのであります。「或る個人又は団体が栄えるためには、誰かが犠牲にならなければならない」――このような世界観・人生観をもっている限り、自国の繁栄を画策するためには他国を侵略することを辞せないということになるのであります。■世界に平和を持ち来たそうと思ったならば、このような弱肉強食の人生観、誰かの繁栄のためには犠牲必要とする如き人生観を排除して、調和のある人生観――この世界は神がつくった世界であるから、完全に調和していて、犠牲などを決して必要としない共存共栄の状態が実相である――という生長の家式の人生観・世界観を全世界に弘め、胎児暗殺の如き「殺害の業」を重ねる行為は即時停止するようにしなければならないのであります。

(生長の家創始者 谷口雅春先生御指導 )

 

皆さんの心の中には、生き方には、日常生活には「谷口雅春先生の最大の御遺言」がありますか?中絶は、先祖殺し、自分殺し、子孫殺し、神殺しであります。谷口雅春先生は「神への反逆である」といわれました。その深い意味を、忘れては成りません。

生長の家宇治別格本山内報「7月号」 平成25年6月1日(退職の辞)

「10年間ありがとうございました。」 祈願部 講師 大熊 良樹
▼かつて、1年間に公称30万人。闇中絶を入れると年間300万人の胎児が闇に葬られている・・と、谷口雅春先生は指摘し、全国に警鐘をならされました。そしてこのような言葉を残されています。▼「悲しみに目を泣きつぶし」あまりに悲しいことが続くので、私の魂は泣き続けた。見たくない日本の現状なのである。「悲しみに目を泣きつぶし」という浄瑠璃のセリフがあるが、私の魂の悲しみや、私の見たくない心が、私の家内の肉体に影を投じて、急に家内の視力が衰えて来たのであった。<39年前:昭和49年10月号「理想世界」谷口雅春先生>▼「この頃は悲しい事ばかり、憂うべき事ばかり、日本国内にも、国際的にもいろいろと起こって来るのである。もうこんな世界に生きていたくないと思う事すら時にある。」(42年前:昭和46年12月号「生長の家」)▼近年、残酷な事件が世間を騒がせていますが、 お腹の中の子供を中絶する事は殺人であり、通常の殺人よりも、なお一層 ヒドイ殺人であるという事を師の言葉にて、あらためて思い知らされました。また、社会的に弱い立場の者を安易に「暗闇の淵」に立たせてしまう世の中こそ、じつはそのまま「こころの戦争」<修羅世界>であり、「平和」に最も遠い世界であることも知りました。そこで、目にしたのは60年近く前に書かれた、谷口雅春先生の「百万人の児童を救う運動を起こせ」<「白鳩」昭和27年12月号>という御文章でありました。▼しかも、師は「悲しみに目が泣きつぶれる」という言葉を使っておられましたが、それを見たおり、私にとっては、「悲しみに目が泣きつぶれる」という表現が魂の奥底に迫って来ました。それは、東日本大震災の1か月前でした。▼平成23年の2月。ブログにて「生命の尊厳」に関して書いた私の文章を見て、3人の赤ちゃんが「中絶」から救われたというお礼状が故郷(愛媛県)や近県(愛知・大阪)から、届いたのです。それからは、口コミで噂が全国に広がり、多くの方々の力添えによって3年間に27人の赤ちゃんが救われたとお礼状が届きました。▼しかし、同時に「もっと早くこの記事を見ていたら中絶しなかったのに」というメールや書き込みが1年、2年、3年と年を重ねるごとに多く届くようになりました。▼胸が痛み、眠れない夜が続きました。そんな時、谷口雅春先生の「光の言葉」を見たのです。▼全宇宙に響きました。「100万の子供(児童)を救え。」その時、魂の奥底から・・湧いてきたのは、年間100万人の「胎児を」救う運動への「決意」でした。▼10年間お世話になりました。生涯この御恩は忘れません。赤ちゃんを救うことで御恩返しの一片でもお返しできれば嬉しく思います。生長の家から戴いた尊い退職金を投じて、マザーテレサの家のような谷口雅春先生に喜んでいただける「赤ちゃんを救う施設を作りたい」と思います。私は本当に本当に「生長の家」と皆さんが大好きです。10年間ありがとうございました。ありがたく、喜びあふれる10年でした。

※大熊良樹 / 連絡先 (080)5301-0041「大熊良樹拝」

 

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平成31年2月2日~8日

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平成31年2月2日~8日

悪をとらえてなんとかせよと言うなかれ。なんとかしようとするなかれ。

母に子の病院付き添いをさせるなという言葉がある。病をとらえて心配する、その心配の心が反映して、子の調子が悪くなる事が多いからである。

 

  「光明道中記」谷口雅春先生

   31日「絶対善を悟る日」)より

「善くしてやろうと云う想念は相手を害し、既に善いとの想念は相手をよくする。                             『生命の實相』第7巻

すべての魂の不安を去る信念は神の創造の世界に悪はないとの信念である。神の造り給うた人間に悪はない。病気も無く、不成績もない。病気があるかの如く見え、不成績があるかの如く見えるのはそれは五官が見るのであり、五官は吾が信念の賦彩(ふさい)によって真相が歪められたる相(すがた)を見るに過ぎない。

されば如何に五官に見える相が悪しかろうとも吾々はその五官の惑(まどわ)しに心を顛倒せしめて了ってはならない。吾が親または子を信ずること。吾が夫または妻を信ずること。兄弟姉妹の美しさを信ずること。すべて人の善さを信ずること。

形の上で縛ろうとするとき、生命は自由を欲するものであるから、反動的に反対の方向へ動いて行こうとするものである。信じて善念を送りさえしたら其の人は必ずよく成る。

「信じていたのに騙(だま)されました」と言う人があるものだが、その人は信じてはいたけれども、屹度(きっと)善念を送らなかった人に違いない。阿弥陀仏を信ずるとは「南無阿弥陀仏」と称えることである。子を信ずるとは放って置くことではない。「善い子だ、有りがとう」と念じ称え、感謝の念を送ることである。

 現象は「本来無い」。なのに・・・無い病気や悪人がなぜあるのか。そう、教区の教務や準教務の先生からも、理論では無く、人生問題に行き詰まったときに、問われる。「物質なし」「神一元」と、目の前の現実がどうして、違うのか、というのである。それは叫びである。
  自らの心を、どうしようも無いというのである。三界唯心と教えながらも、その唯心の摂理に縛られて、自縄自縛になっているのである。
本来無い「現象」が、わざわざ現れることに「ありがたさ」があるのである。
 「現象」そのものには感謝などできまい。それは「闇」であり、光は闇に和解せずである。和解しようが無いのである。「働き」に感謝すればいいのである。
 「現象」は「現れ(洗われ)」というくらいであるから、『浄化作用』である。浄化の原理に乗っ取り「出て」「消える」のである。永遠と続くなら、苦しいが、出て(現れて)消えてゆくならどんなに楽であろうか。「現象」は、いい意味でも「諸行無常」なのである。

 

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